映画感想『1944 独ソ・エストニア戦線』 (2)
前回までで、主人公がカールからソ連軍側のユーリ・ヨギ軍曹に移った所
まで書いたのでその続きを書こうと思う(ネタバレあり)。
ヨギ軍曹達はそこで戦闘で死亡したソ連軍側の兵士もカールらドイツ軍側の
兵士達も同じように土に埋めて墓にする。そこへ以前、カール達に食料を
与えた農民夫妻がユーリ達がソ連軍側と知らずにやってきてカール達にした
のと同じように食料を与える。
この部分の描写も凝っている。ユーリ達はカール達を埋葬する為になのか、
たまたま上着の軍服を脱いでいて白いシャツ状態で、ヨギ達の移動用に
残されていたトラックにはソ連軍の赤い星のマークが付いておらず、農民
夫妻がソ連側と思わないのも納得がいく設定になっている。
なおこのトラック、この辺に詳しい人にはすぐにわかるだろう、アメリカの
CCKW-353型なのだが、これがユーリ達の行動の、一種の裏設定になっている。
農民夫妻はヨギ達に燻製肉を差し入れしようとするのだが、ヨギ達は
逆にもっと上等な肉の缶詰を農民夫妻に差し出す。そしてこの缶詰には
『米軍支給品』と英語で書いてあるのだが、英語とドイツ語の文字の綴りの
区別も分からない農民夫妻は「こりゃドイツ製の最高級品だ」と喜ぶので
ある。
第二次世界大戦中、アメリカが武器貸与法(レンドリース法)によって
ソ連に膨大な量の軍需物資を供給したのは有名な話で、ソ連がドイツの
侵攻を食い止めた要因の一つがこれであったと思われるほどだが、
このアメリカ製トラックからアメリカ製の缶詰が出てくる所など、
その事を暗に表してソ連を皮肉っているかのようなのだ。
さすがにこのトラックが、何のマークも無くアメリカ製のトラックと分かる
のはごく一部の人だけと思ったのか、故意にアメリカ軍の白い星のマークが
トラックには塗られていた。少なくとも私の知る限りでは、アメリカは
ソ連への貸与用にトラックを生産していたのでソ連軍が使っている時に
アメリカ軍のマークを付けている事はないので、この部分は映画のスタッ
フが間違えて描いてしまったか、あるいはそうと分かっていて映画を分かり
易くする為に故意に付けたのだと思う。
そしてこのユーリ達はこのトラックで移動を始めるのだが、その荷台で
その農民夫妻の事を「気の毒に、(ソ連がエストニアを奪還したら)富農と
見なされ強制収容所送りになるだろう」と話し合うのだった。
その後カールの姉が住まわされているタリンという街に、偶然ユーリ達が
移動してくる(カールは家族はシベリア送りにされたままと思っていたよう
だが、何らかの事情で姉だけこの街に移されたらしい。)。そして
ユーリはカールの姉のアイノ・タミクにカールの手紙を届けに行く。
ユーリは姉を含めた家族がシベリア送りになったのは自分のせいと思って
おり、そのナレーションが前半の冒頭から要所々々で登場し、この映画を
余計に悲劇的な雰囲気にしているが、この手紙の内容はこの映画の前半と
後半を貫いて、全体のテーマに繋がる大切なものだ。
ユーリがカールの手紙を渡した事でカールの願いの一つは適うのだが、
カールは家族がシベリア送りになったのは自分のせいとずっと思っていて
そう思ったまま亡くなってしまったが、実際はそうでなかった事が
アイノから告げられる。アイノは「罪なき人が罪を感じ、罪深い人は感じ
ない」と語る。
そしてここからまたドラマが始まる。ユーリがカールを撃ち殺してしまった
のだが、ヨギはアイノの様子を見たからか、それともアイノに心を惹か
れてしまったからか、自分がカールを撃ったとは言えず、目の前で他の
兵に撃たれたと嘘をついてしまうのだ。
アイノは弟が亡くなったと知って悲しむが、同時にユーリをカールに似てる
と言ってもてなす。ユーリはアイノに一目惚れをし、アイノもまんざらでは
ない感じだが、いきなり深い関係になったりしない。この辺がすぐにドロ
ドロしてしまうハリウッド系の映画と違って清潔で良い感じだ。
しかしここでもう一つ悲劇が起こっている。カールの調べによるとアイノ
達を追放処分にした責任者の名字がヨギになっているらしいのだ。
アイノはユーリの名字がヨギと知らずユーリにそう話すのだが、ユーリは
自分の名字もヨギである事を話すとアイノに誤解をされると思ったのか、
アイノに自分の名字はトゥールであると嘘をつく。
映画のこの部分の表現は若干分かり難い所で、日本などだと名字が同じ
人間は基本的にはいくらでもいるのでこういう時の名字が同じ人間でも
何でもないと思うのだが、ひょっとするとユーリ自身が実際にアイノ達の
追放に関わった過去があって後ろめたく思ったのか、この辺は映画が
終わっても結局分からなかった(小銃部隊の下士官クラスの人間が民間人
家族の追放の責任者になるとはあまり思えないのだが。)。
ユーリはカールを殺してしまって、しかもカールの姉にそれを話せて
いないという時点で既に2重に悲劇を背負っているのだからこの部分は
若干余計だったか、という気もする。
それはともかく、ユーリとアイノはお互いに淡い思慕を抱いたまま
(どちらかというとユーリ側の思いが強い)分かれ、ユーリは戦場に戻る。
この辺の展開は戦争映画にありがちだが、他のものと違うのはユーリの
属するのがソ連軍のエストニア人部隊という事。常にソ連軍の監視人の
ような上官の大佐がつきまとう。彼はユーリの直接の上官であるビーレス
大尉が反ソ的だからと、ユーリに出世を条件に彼の監視を言いつける。
その後彼らはソルベ半島へ戦車部隊と主に進撃する。この時、海の向こう
のドイツ軍の軍艦も砲撃を加えて抵抗するが、どうもアドミラル・ヒッパー
級巡洋艦のように見える。これはCG合成らしく良く出来ていた。
ヒッパー級重巡は20センチ主砲を持っており、ソ連部隊に強力な砲撃を
加えているが一隻ではどうしようもなかったか、弾薬が尽きたかで
ソ連軍の進撃を許してしまった。
この後ユーリ達はドイツ側から逃亡してきたエストニア人少年兵を見つけて
捕虜にしようとするが、例のソ連軍の大佐が彼らの射殺をユーリに命じて
しまう。しかしユーリは従わず、結局大佐に射殺されてしまう。
怒った部隊長のビーレス大尉は大佐に銃を向けるがなかなか撃てず、結局
やや遠くから狙撃銃を構えていたユーリの友人のプロホルが大佐を射殺する
のだった。
そしてこの友人のプロホルがユーリが綴っていたアイノへの手紙を渡しに
行くのである。その手紙にはユーリの本当の名字がヨギである事、カールを
撃ち殺した事の告白と懺悔、そしてアイノへの愛の告白が書いてあり、
手紙のアップの映像とその内容のナレーション、テーマ曲のBGMで映画は
暗転し、「自由の名の下に戦い苦しんだ全ての人に捧ぐ」と字幕が出て
終了する。
…という事で、サブタイトルに「戦場からの手紙」と付けても良いのでは、
と思う位「手紙」がキーワードとなって前半のドイツ軍側と後半のソ連軍側
の二つの状況をうまく一つに通していたり、非常に凝った作りになっている
映画なのであった。
この映画の凝った所についてもう少し追記してみると、例えば前半の
ドイツ軍側の部隊で起こった事、補充兵が配属されたり、銃を捨てた
敵兵が降伏してくるが味方の兵が非常にも射殺したりする所は、後半の
ソ連側の部隊でも起こる。しかも降伏する兵隊などは3人ずつと、シンメ
トリーな感じにもしている。これは、戦時の軍隊で起こる事はどちらも
同じようなもんだと言わんばかりである。
また、上述したように陸、海、空ともに考証がしっかりしているのも
良い。過去の有名作だと『戦争のはらわた』もソ連空軍の攻撃シーンで
何故かF4Uみたいな飛行機が出てきたり、『Uボート』でも連合軍航空機が
Uボートに直撃弾を命中させたのに平気で潜航したり、『空軍大戦略』では
ドイツ側の車両が変だったりと、陸、海、空、ともにバランス良く考証が
満足なものは少ないのである。
また、音楽が非常に良く、悲劇の戦争物系だと「禁じられた遊び」「ひま
わり」「要塞」と並べてもおかしくないくらいの名曲ではないかと思える
くらいなのであった。
ちょっとほめ過ぎだったかも知れないが、ソ連とナチスだけを避難している
訳ではなく、それら権力に簡単になびいてしまう事の自責も感じさせる
所も良かった。
(2021年7月22日変換ミス修正:「だけを避難」→「だけを非難」)
少なくとも一回は観る価値のある映画だ。いや、やはりDVDか録画で何度も
繰り返し観た方が良い。観れば観るほど細部ネタに気が付いて味わい深く
感じられるから…。
(『1944 独ソ・エストニア戦線』に関して、終わり。)
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- 2017.10.22 Sunday
- 映画・映像など
- 23:08
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- by コウ中村